カテゴリ:参章/死望者( 4 )

参章/死望者/其の死

義実は立ち上がった。

先程、この崖の上で横になってから、どれくらいの時間が過ぎたのだろうか。

まだ風は強く吹いていた。

台風は今、どの辺なのだろうか。

そんな事を気にしても仕方がないが、気にしてしまう。

崖の下を覗く。

「怖いな~」

つい、口から声が漏れた。

義実は崖の上で目を瞑って、直立不動になる。

そして手を振りながら、何度か深呼吸をした。

突然に、更なる強風が義実を襲う。

義実はバランスを失って、崖下へと落下して行く。

『あれ!?まだ心の準備は出来てなかったのに』

『まあ、いいか』

『これで、もう死にたいなんて、思わなくても済む様になれるのかな』

義実はそれだけ思って、気を失った。

─────

義実は夢を見ている様だった。

自分の目線の先に、幼き日の自分が居る。

幼い自分は泣いていた。

いつの事だろう。

何で、泣いているのだろう。

いつも泣いていたから、何も特定は出来ない。

でも、あの頃はまだ幸せだったんだな。

そんな事、忘れていた。

そう言えば、いつからだろう。

自分が笑わなくなったのは。

そうだ。

母が死んでからは笑った覚えがないな。

少なくとも、それよりは前であろう。

勿論、作り笑いや苦笑いは別である。

とにかく懐かしい。

目の前の自分は泣いているけど、この頃はまだ笑う事も出来た。

ああ、本当に懐かしい。

なんか、泣けてくるな。

泣いたのも、いつ以来だろう。

もう、分からない。

そして消えていく。

夢が消えていく。

           ☆参章/死望者☆
                    完
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by gushax2 | 2016-06-29 05:48 | 参章/死望者 | Comments(0)

参章/死望者/其の参

義実はこの五年もの間、特に軟禁されていた二年間に沢山の事を考えさせられた。

その中でも【死望者】である義実は〔命〕について考える事に、一番多くの時間を割いたのである。

この世界では何故〔自殺〕は否定されるのか。

また、それ以前に〔死〕すら否定的に考えられてもいる。

何故、生きる事だけが正しいとされるのか。

自分の様に死を望む者に生きる事を強いる事は、生きる事を望む者に死を強いる事と変わらない様に思う。

そう、例え生きる事であっても死を望んでいる人に、それを強いてしまえば殺人と同じじゃないのか。

要するに、生と死は表裏一体であるはずなのに、一方的に死だけを悪く見る、その様なものの見方に疑問を感じたりもする。

〔生〕と〔死〕は同等に尊ばれるべきものなのではないだろうか。

勿論、これは真理の部分の話であって、哲学的な話にもなるであろう。

現実の人間社会はそうもいかない事がある事は理解する。

死を望んでいる人間であろうと簡単に切り捨てる訳にはいかない。

例え建前であったとしても詭弁であったとしても、全ての人を救おうとしなければならないのが社会というものなのだろう。

そういう意味で、人間社会において〔自殺〕は否定されるべきではあるのかもしれない。

しかし否定されるべきであるからこそ、肯定する事も必要だと義実は思っていた。

矛盾するのかもしれないが、この世界は特定の者達だけの世界ではない。

一方が存在すれば、必然的に反対側も存在する事になり、その中間のものも当然に出て来るであろう。

それら全てが肯定されるべきだと思う。

あらゆる矛盾があっていいのだ。

いや、元々、この世界は、あらゆる矛盾を孕んでもいるのだろう。

それなのに人間は自分の都合で善悪を決め付けて、悪の方を一方的に排除してしまおうとする。

矛盾を受け入れようとしないのだ。

あくまでも白黒をはっきりさせて〔正義〕を主張する。

そして立場を違えた〔正義〕がぶつかり合う。

何故、違いを認めようとしない。

何故、矛盾を受け入れようとしない。

違いがあるからこそ、世界はこんなにも豊かなのではないだろうか。

矛盾があるからこそ、我々は苦しみながらも前へと進む事が出来るのではないだろうか。

違いを認める事がこの世界が持つ多様性の素晴らしさを享受する事に繋がって、矛盾を受け入れる事で人間一人一人、そして社会全体の成長を促す事も出来るのではないか。

その様な感じ方をしている義実にとって、現代社会は〔生〕の尊さだけが強調されて、〔死〕の尊さが蔑ろにされている部分があり、それが人類を憎しみの連鎖で縛り付けてしまっている様に感じてもいた。

そして義実もまた、そんな憎しみの連鎖に縛られている。

憎しみの連鎖から抜け出せないでいるのだ。

自分の事をいじめてきた奴等。

父親。

自分自身。

何もかも。

どうしても憎まずにはいられない。

そして〔何もかも〕の所で疑問にぶつかる。

いつもの事であった。

その疑問にぶつかる事で、義実は自分が死を望んでいる事に気付かされる。

これも、いつもの事であった。

そして周囲を見回すと〔死〕が否定されてばかりいる。

死を望んでいる義実には、それがとても苦しかった。

自分自身の存在そのものを否定されている様にも感じるからだ。

〔死〕を否定されてしまう世界に自分の居場所は無い様に思う。

〔死〕を望んでしまう自分はこの世界に相応しく無い。

相応しく無い世界にいるから苦しまなければならず、その苦しみに耐えられないので死にたくなる。

恐らく、このような苦しみ方をしている方は、自分の他にも相当数いるのではないだろうか。

義実はそんな風に思っていた。

実際に毎日の様に多くの方々が自らの命を断っている。

その中の何割かは、その様な苦しみに耐え切れずに自らの命を断たなければならなくなるのかもしれない。

確かに〔常識〕という社会通念において〔死〕は否定されて然るべきではあるのだろう。

しかし余りにも、その様な〔常識〕に捉われる事で、柔軟性を無くして〔常識〕から外れたものを排除してしまう様な、そんな価値観の構築と強要がなされていて、それに耐え切れなくなる者も出てくるのではなかろうか。

そして、その様な事は大人よりも寧ろ、人間として未熟である子供達により影響がある様に思ったりする。

死を求める〔心情〕と死を遠ざける〔常識〕との板挟みにあい、にっちもさっちもいかなくなって、結果的に死を選択せざるを得なくなる。

そういう子供達も少なくはない様に思う。

義実自身も大人になる前に【死望者】になれていたら、すでに死ぬ事が出来ていたのかもしれない。

そんな風に思ったりもする。

しかし現実の義実は未だ死ぬ事も出来ずに【死望者】のまま生き続けていた。

そして悩み続け、苦しみ続けてもいる。

だから思うのだ。

否定されるべきだからこそ、肯定もされるべきだと。

また人間社会は〔常識〕という価値観を共有しながらも〔常識〕から外れた者を許容する事も、一方では大切になってくる様に思う。

しかし現実は一方的な〔常識〕の押し付けが為されている様に感じる。

〔常識〕という枠の中に収まる事を強要しているのではなかろうか。

許容すべきなのに強要してしまっているのだ。

そう考えると苦笑も禁じ得ないが、当然に苦笑している場合でもない。

そして、その様な強要が社会に閉塞感を生み出して、結果的に犯罪やいじめを助長していたりもするのではなかろうか。

義実はいじめを受けてきた一人として、その様に感じたりもするのだった。

勿論、義実からすれば、いじめは許す事は出来ない。

しかし、その許容を否定してしまう憎しみが、いじめを助長しているのかもしれないのだ。

そして助長されたいじめが新たな憎しみを生み出す。

正にこれこそ憎しみの連鎖なのではなかろうか。

そんな憎しみの連鎖から抜け出せずにいる自分が許せなくもなった。

だから余計に死にたくなったりもする。

死ぬ事以外に自分が、この憎しみの連鎖から解き放たれる方法を思い付く事が出来ない。

いくら考えても絶望にしか辿り着かないのだ。

やっぱり死にたくなる。

どうして生きなければならないのだろう。

〔生きたい〕と思う事が当然である事は否定しない。

だからと言って〔死にたい〕と思う事が否定される謂われはない様に思う。

〔生きたい〕人間が居るのだから、〔死にたい〕人間も居ていいじゃないか。

皆が皆、同じである必要は何処にもないだろう。

確かに〔生きたい〕人間は普通であるのかもしれない。

そして〔死にたい〕人間は異常なのだろう。

しかし異常であろうとも現実に〔死にたい〕人間は存在していて、それは〔生きたい〕人間が存在する理由と同様だと思う。

それなのに何故?

〔死にたい〕人間だけが否定される。

解らない。

納得出来ない。

そして〔生きたい〕人間が生きようとする事が当然である様に、〔死にたい〕人間が死のうとする事も、ある意味、当然である様にも思う。

そして、その結果、死んでしまう事になったとしても、それこそ仕方がない事の様に思うのだ。

しかし現実は〔死にたい〕と思う事が否定されてしまう。

〔死にたい〕と声を上げる事すら、憚らなければならない様な空気がある。

そんな中で〔死にたい〕と思ってしまう人は自己否定をするしかなくなってしまうのかもしれない。

周囲から否定され、自らも否定しなければならなくなる。

そのような者が〔死〕を望む様になってしまう。

【死望者】になってしまうのではなかろうか。

そして義実もまた自己を肯定出来なくなって【死望者】になったのだった。

そんな自分が死ぬ為の行動をするのは当然であろう。

それは普通に求めるものを得る為の行動にしか過ぎない様に思う。

他の者達と何も変わらない。

それなのに、何故?

〔死〕を求める事だけが否定されてしまう。

人の死は悲しいから。

本当にそうなのだろうか。

義実はそこにも大きな疑問を感じていた。

義実は思う。

【死望者】の一人として。

自分が死んだ時に誰かに悲しんで貰いたいか。

義実はそうは思わなかった。

別に悲しんで貰ったからって、どうにもなるもんでもない。

ただ、それは義実が死を望んでいるから、なのだろうか。

考えてみる。

自分がもし生きる事に希望を持てていたら、自分が死んだ時に悲しんで貰いたいか。

それでも、やっぱり悲しんで貰いたくない様に思う。

勿論、実際にそうなれたら、違ってくるのかもしれない。

しかし想像の範囲では、やはり悲しんで貰いたいとは思えなかった。

それよりも、いつまでも悲しんでなんかいないで、早く元気になって貰いたいと思うんじゃなかろうか。

正直、義実には、そう思える相手はいなかった。

義実は家族、特に父親に対しては憎しみも強いので、余り大切に思う対象にはならない様に思う。

だから、あくまでも想像の範囲になってしまうが、本当に大切に思える相手には悲しんで貰うよりも、元気になって貰いたいと思う様に思ったりするのだ。

そして、そう考えると残された者の悲しみというものは、ある意味、身勝手なものの様にも思えるのである。

勿論、残された者が、自分自身の心の中を整理する為に悲しむ事は必要ではあるのだろう。

そして、それについては否定するつもりもない。

しかし、その一方で身勝手な悲しみもある様に思うのだ。

その残された者達の身勝手な悲しみが余計な憎しみを生み出してはいないか。

義実は思う。

『罪を憎んで人を憎まず』

本当に素晴らしい言葉だと。

義実自身、憎しみに捉われてもいる。

しかし、だからこそ許せる様になりたいとも思う。

もし許す事が出来たら、憎しみの連鎖から抜け出せるんじゃなかろうか。

そう。

許す事。

それが生きる事でもある様に思う。

そして許す事が出来ない自分は〔死〕に付き纏われる。

ある意味、当然である様にも思う。

そんな義実だからこそ、誰かを許したい。

自分を許したいと思うのだ。

そして、それが出来る様であれば、生きる事に希望を抱く事も出来るのかもしれない。

しかし現実の義実にそれは出来なかった。

だから絶望し【死望者】になったのだ。

そして【死望者】になった義実が思う。

【死望者】になった義実が感じる。

何故?

どうして?

〔生〕とは一体。

〔死〕とは一体。

現代社会は〔命〕を誤解しているんじゃなかろうか。

それとも誤解しているのは自分の方なのだろうか。

判らない。

でも、思う。

そして、感じる。

〔命〕の尊さを。

〔命〕の儚さを。

そう。

〔命〕は尊いだけではない。

〔命〕は儚くもあるのだ。

尊いからこそ儚くて、儚いからこそ尊い。

だから人は精一杯に生きなければならない。

自分はどうだろう。

精一杯に生きてきた。

精一杯に生きてきた結果【死望者】になったのだ。

寧ろ義実には手を抜いたりする余裕は無かった。

義実に出来る事は精一杯にやる事だけである。

それでも失敗を繰り返し、傷付いて傷付いて【死望者】になったのだ。

もう、これ以上はどうしようもなかった。

自分は間違っているのかもしれない。

例え間違っていても、自分は〔死〕を望んでいる。

それだけは何も変わらない。

変わらない以上、例え今日もまた失敗したとしても、いずれまた繰り返すだけの事だと思う。

そう。

変わらない以上【死望者】である以上、自分は死のうとするしかない。

〔死〕という結果が得られるまで、死のうとするしかないのだ。

そう。

その結果を得る為に、わざわざ〔此処〕まで来たのだから。

そして〔此処〕まで来た自分が思う。

〔此処〕まで来て感じる。

自分のこの〔死にたい〕気持ちは〔生きたい〕事の裏返しなのではないだろうか。

〔生きたい〕から〔死にたい〕のである。

そう考えると〔死にたい〕と思う事は〔生きたい〕と思う事と同じなのだ。

義実にとっては死を求める事自体が、生きる事になってしまっているのかもしれない。

だから生きている限り、死を求めてしまうのだろう。

そして〔死〕という結果を求めてしまう事が【死望者】というものでもあるのだ。

そう。

義実は今もまだ間違いなく【死望者】であったのだ。
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by gushax2 | 2016-06-28 05:54 | 参章/死望者 | Comments(0)

参章/死望者/其の弐

【死望者】になった義実は先ず、死を得る手段を考えた。

時々、テレビドラマ等で見掛ける、手首を切る事。

『う~ん。痛そうだな』

首を吊る事。

『これは出来るかもしれない』

よくニュースになったりする、鉄道等への飛び込み。

『出来れば何の関係もない他人は巻き込みたくないな。それよりも余りニュースになったりしたくはない』

高所からの飛び降り。

『建造物の上からは避けたい。他人を巻き込む可能性もあるし、止められる可能性も高いだろう。だから何処かの崖の上からだったら』

最後は薬の大量服薬。

『これが一番、楽に死ねそうかな』

とりあえず、これだけ思いついたので、この中で優先順位を付ける。

1番目は〔薬の大量服薬〕かな。

2番目は〔首吊り〕かな。

3番目に〔崖から飛び降り〕。

以下〔鉄道への飛び込み〕、〔手首を切る〕となった。

そこで義実は思う。

先ず自分が如何に痛みに対する恐怖に弱いか。

〔手首を切る〕が一番最後になったのは、そういう事だろう。

更に切るのは手首ではなく、腹の方が確実だと思い付いた。

しかし、どちらにしても、義実は自分にそれが出来るとは到底思えない。

そして、いじめをすんなりと受け入れてしまっていた自分に少し納得をする。

〔暴力を恐れる余りに〕という意味で、仕方がなかったのかもしれないと改めて思った。

とは言え〔自分が金銭で自分自身を売り渡した〕という事実は何も変わらない。

そう思うと再び憎しみが沸き上がってくる。

自分をいじめてきた奴等。

父親。

自分自身。

何もかも。

そして〔何もかも〕なのに、無関係の他人に迷惑を掛けたくないと思うのは何でだろう。

恐らく飛び込み自殺をする方は、それだけ社会に対する憎しみが強いからなのかもしれない。

しかし自分はそこまでにはなれなかった。

確かに義実にも社会に対する憎しみはある。

だから〔何もかも〕にはなるのだが、それでも迷惑を掛けたくないと思う理由。

一つ思い付いたのは、義実が自分自身、余り目立つ事が好きではないからではないか、と。

誰かを巻き込む事になれば、ニュースになるだろう。

義実はどうしても、それは避けたかった。

とにかく自分が騒ぎの中心になる様な事が嫌だったのだ。

だから巻き込んでしまう誰かに対する気遣いよりも、あくまでも自分の都合でしたくないのだろう。

そう考えると妙に納得が出来たりもする。

死ぬ事を考えたら、そんな事を気にしても仕方がないとも思うが、それでも嫌なものは嫌だった。

逆に、その様な都合が無ければ他人の事なんか、一々、構っちゃいられなかったりもするのかもしれない。

また、より多くの方に迷惑を掛ける事が社会に対する復讐にはなるのかもしれないが、果たして、それで本当に報われるのか。

その辺、義実には全然、解らなかった。

ただ自分に置き換えると、それで復讐が果たされる様には思えない。

そして、もう一つ思いが過ぎる。

自分が余り社会との繋がりを強くは求めていない。

その事が義実の憎しみを社会に向かわせない、もう一つの理由として考えられる様に思った。

社会に対して繋がりを求める気持ちが強ければ強い程、社会に裏切られたと感じた時に社会に対する憎しみが強まる。

これは決して自殺に限った事ではなく、社会に対する復讐と受け取れる行為全てに、そういう一面がある様に思ったのだ。

また義実はいじめに対して、何の行動も起こしてくれなかった他の同級生達には、余り憎しみを感じなかった。

義実がその立場に立って、いじめられている同級生に対して、何か行動出来るのかを考えると、とても何か行動が出来るとは思えないので、その事を責める気にはなれなかったからだ。

勿論、当時、実際に助けてもらえていたら、どんなにありがたかった事か。

しかし今になって考えると、助けてもらえなかった事で同級生を責めるのは、余りにも酷な様にも思う。

この辺りも義実が社会に対して、繋がりを強くは求めていない事が、大きく影響している様に思った。

周囲に対する期待が大きい程、直接の関わりが無い周囲の者達に対しても憎しみが沸いてしまう。

その様な事があるのではなかろうか。

とにかく義実は社会に対する憎しみはあっても、無関係の誰かまで巻き込む様な復讐をしようとまでは思えない。

義実が復讐するとしたら、何に?誰に?

当然に先ずは義実の事を直接いじめてきた奴等である。

そして、それを見て見ぬ振りしてきた大人達であろう。

しかし誰かをいじめるような奴が、その対象が自殺したからといって傷付く様な性質なのか。

中には、そういう奴もいるのかもしれないが、そうでない方が多い様な気がする。

いじめをする様な奴が、その様な細やかな神経を持ち合わせているとは到底思えない。

そうであれば〔自殺〕は復讐とは為り得ないのかもしれない。

もし死ぬ事でいじめてきた奴等を呪う事が出来れば、復讐は可能なのかもしれないが、それは、ちょっと現実的ではない様に思う。

結局〔自殺〕は復讐を目的にすると、空振りに終わる危険性も高い様に思った。

また親や教師等の大人達に対しては〔自殺〕が復讐には為り得るのかもしれない。

親にとって自分の子供が、教師にとって教え子が、自殺してしまったら、それなりのダメージはあるだろう。

しかし、それなりのダメージを与えたところで、自分は復讐を果たしたと思えるのだろうか。

そうは思えなかった。

自分の憎しみは、そんな容易いものではない。

では、どうなれば復讐を果たしたと思えるのだろうか。

判らない。

ただただ憎かった。

ひょっとしたら復讐では、自分の中の憎しみを追い出す事は出来ないのかもしれない。

その様に考えていくと、今度は復讐する事自体に疑問が生じたりもする。

本当に自分は復讐をしたいのか。

復讐で自分の中を憎しみを何とか出来るのか。

ひょっとしたら復讐以外の選択肢もあるのかもしれない。

もし復讐という悪意で誰かを傷付けてしまったら、いじめという悪行を認めてしまう事にも為り得るのではなかろうか。

例え切っ掛けが相手にあったとしても、結果として悪意で誰かを傷付けてしまったら、同じ穴の貉になってしまう様に思った。

あんな奴等と同類にはなりたくない。

あんな奴等の為に自分が加害者になるのは馬鹿らしい。

そもそも復讐自体が空振りに終わる可能性も高いのに、成功したら成功したで自分が罪悪感に苛まされる事にもなりかねないのだ。

それも、あんな奴等の為に。

その様に考えていくと、自殺する理由として復讐というのは適当ではない様に思った。

勿論、死ぬ事を考えたら、罪悪感に苛まされる心配はしなくてもいいのかもしれないが、それでも復讐が果たされる事は少ない様に思う。

やはり復讐をする為には死んだりするよりも、生きていないと駄目な様な気がする。

自分はどうなんだろう。

義実は考えてみた。

復讐がしたいのか。

死にたいのか。

復讐が出来るのであれば、してみたい気がしないでもない。

しかし復讐が出来るとは思えない。

何の才能も特技もない自分が、どうやって復讐したらいいのか全く判らない。

それに復讐は出来たとしても、同じ穴の貉になるだけなのだ。

あんな奴等と同類にだけはなりたくない。

そう考えると、やっぱり死にたい。

復讐なんてもう、どうでもいい。

死ぬ事さえ出来るのであれば、後はもう全てどうでもいい。

自分が進むべき選択肢は復讐ではなく〔自殺〕だと思った。

復讐の為の〔自殺〕ではなく、あくまでも自身の〔死〕を望む気持ちに報いる為の〔自殺〕である。

そして義実は自殺を試みる事にした。

先ずは一番、楽そうに思えた〔薬の大量服薬〕を。

睡眠薬は父親に不眠を訴えれば用意してくれた。

父親は知人の医師から譲り受けている様だった。

とにかく義実の父親はよっぽどのものでない限り、金銭で何とかなるものは何でも与えたくれたのだ。

そのおかげで睡眠薬を入手する事は何の問題も無かった。

そして50錠程、睡眠薬を溜め込み、それを一度に服薬して、そのまま眠りに就く。

しかし幾らもしない内に薬の殆どを吐き出し、意識が朦朧とするまま病院に搬送されて胃洗浄を受ける。

その胃洗浄が地獄の苦しみだった。

一番楽だと思ったのが大間違いだったのだ。

もう二度と薬の大量服薬はするまいと思った。

元々、痛みに対する恐怖に弱い義実にとって、胃洗浄の苦痛にかなりの恐怖を植付けられる。

そして三日間の静養をして、職場に戻ったが当然に解雇された。

別に自殺未遂がバレた訳ではないが、一日無断欠勤して、そのまま三日間休んだので、元々、解雇するタイミングを測っていたであろう会社の方からしたら、ちょうど良かったのだろう。

そして義実が自殺未遂をしたという事実を知るのは、家族と病院で関わった方々だけだと思われた。

恐らく、というか先ず間違いなく、病院関係者には父親が口止めをしているはずである。

二度程、そう推測が出来る様な場面を目にした事があった。

近所には適当な病名を告げている様である。

そして、そんな父親に義実は絶望したのだ。

だから再び自殺を試みようと思った。

とは言え、すぐにとはいかないので、とりあえずは仕事を探す。

別に仕事はしなくとも養っては貰えるだろう。

しかし父親に絶望している義実は、そんな父親の世話になるのは我慢がならなかったのだ。

出来れば実家を出て一人暮らししたいくらいなのだが、仕事が長続きしない義実には、それも難しかった。

とにかく出来る限り自立する為にも、仕事は探す必要がある。

そんな義実にとっては仕事を探すのも、そんなに簡単な事ではなかったが、選り好みしなければ何とかはなった。

元々、何の特技も資格も無い義実には、選り好みしてる余裕は無い。

とりあえず働かせて貰える所があれば、何処でも構わなかった。

そして暫くすると、職場で義実は孤立する。

それから暫くすると、今度は解雇されてしまう。

いつもの事である。

そして何度か職を転々としている間に、次の自殺をするタイミングを謀った。

一度目の自殺未遂の時から二年程、経ってから、今度は首を吊ったのである。

自宅の自室で天井の梁にロープを括って、机の上から降りる様に首を吊った。

義実はそのまま気を失った。

気が付くと兄に介抱されていたのである。

天井を見るとロープが切れていた。

左の足首と左手の薬指に激痛が走る。

どちらも骨折していた。

そして再び病院に担ぎ込まれる。

しかし、また入院はさせて貰えなかった。

治療を終えたら、自宅へ連れ戻される。

義実は別に入院がしたかった訳でもないのだが、父親がまた義実が自殺を試みた事実を隠そうとしたのだ。

義実の首にはロープの跡がくっきり残っていた。

入院させるよりも自宅へ連れ帰った方が、事実を隠すのに都合がよいと判断したのだろう。

そして、それから二年程、義実は父親に軟禁される事になる。

父親の世話になるのは嫌だったが、首吊りも失敗に終わった事で、かなりのショックを受け、何もする気になれなかったので、とりあえずは甘えるしかなかった。

せめてもの抵抗にと、可能な限り、食事を抜く。

一週間に一度とか、二週間に一度とか、長い時は一ヶ月くらい抜いた事もあった。

そのまま死んでしまえればと思ったりもしたが、限界がくると、どうしても食べてしまう。

結局、二年間で70㎏近くあった体重も40㎏を切っていた。

そんな義実の様子を見て父親は、このまま軟禁し続ける事も問題だと思ったらしく、義実と話し合いをして軟禁を解く事になる。

義実も軟禁を解いてもらうなら働きに出たいので、体力を戻す為にもと無理な節制は止める様にする。

ただ自分がまた自殺を試みようと思っている事は、言わずにおかなければならなかった。

言ってしまうと父親からしたら、軟禁を解く訳にはいかなくなるだろう事は想像に難く無い。

再び自殺を実行する為にも、これ以上、父親の世話になる事を避ける為にも、そうするしかなかった。

そして三ヶ月もすると体重も60㎏くらいまで戻って、義実は仕事を探し始める。

仕事が見つかり働き始めると、義実は再び自殺するタイミングを謀った。

今度は〔崖からの飛び降り〕を考える。

そして下調べをして、実行する場所も特定した。

しかし中々、その気になれなかったのだ。

思った以上に前回の失敗が義実の精神を弱らせていた様である。

実際に本当に参ってはいた。

死ぬ事すら出来ない自分自身に更なる絶望を感じる。

自殺を実行するには相当な気力も必要なのだ。

結局、気力が回復して再びこの崖に来るまで、前回の未遂から約五年もの歳月を経ていた。

下調べで来た時からは四年程、経っている。

義実はもう二十八歳になっていた。
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by gushax2 | 2016-06-27 09:21 | 参章/死望者 | Comments(0)

参章/死望者/其の壱

風が強く吹いている。

雨も強く降っている。

崖下の海の波もまるで崖に襲い掛かる様に、激しく、ぶつかって来ていた。

台風が来ているのである。

そんな中で一人の男が崖の上に立っていた。

名は相良義実という。

年齢は二十八歳。

飛び降り自殺をする為に〔此処〕へと、やって来たのだ。

〔此処〕とは何処なのか。

詳しく明かす事は出来ないが、普段であれば少ないながらも観光客の数人くらいは居るのかもしれない。

だからこそ義実は〔今日〕を選んだのだ。

単に夜中でも人目につく可能性は少ないが〔今日〕の様な日の方が、確実に人目につかずに〔此処〕へと辿り着ける。

そんな風に義実は考えていたのだ。

そして義実の考えた通り〔此処〕へ来るまでに、義実が人を見掛ける事は一切、無かった。

だから義実が人目についた可能性も、限り無く少ないはずである。

また〔今日〕のような日の方が自分の最期には相応しい。

そういう思いも義実にはあった。

そうして近くの駐車場で車を止めて〔此処〕まで歩いて来たのだ。

そして義実は今、強風に煽られながら、崖の上に立っているのである。

「ふふ」

義実は一人で小さく苦笑った。

これから飛び降りようとしている男が、風に煽られて崖下に落ちるのを必死で堪えているのである。

義実はそんな自分が少し憐れんで見えた。

そして堪えるのを止めて、風に煽られるままに崖下へと落ちてみるのも悪くはない。

もし、そうなった場合は自殺ではなく、事故死になるのだろうか。

義実はふと、そんな事を思った。

そして、すぐに、それを打ち消す。

実家の自室に遺書を置いてきてあるからだ。

自分で飛び降りようとも、風に煽られて落ちようとも、状況からして自殺という事になるであろう。

それにしても、いざ、これから飛び降りようと思うと、怖くて怖くて仕方がない。

勿論、死ぬ事自体も怖いのだが〔此処〕の高さが、とてつもなく怖く感じるのである。

義実は高所恐怖症ではない。

普段であれば、何の問題もないだろう。

しかし、これから飛び降りようと思うと、この高さが、とても恐ろしく感じるのだ。

そして高所恐怖症の人は落ちる事を考えてしまうから、高所において恐怖を感じるのかもしれない。

義実はふと、そんな事を思った。

「ふふ」

そして義実は再び一人で小さく苦笑った。

これから死のうというのに、つまらない事を考えるものだ。

そんな事よりも今、自分が感じている恐怖をなんとかしなければならない。

いつまでも、こうして崖の上で突っ立っていても仕方がないのだ。

しかし、どうしても飛び降りる事が出来なかった。

これだけの強風の中、立っているだけでも正直しんどい。

そこで義実は一旦、気を落ち着かせようと思った。

そして義実は立つのを止めて、崖の上に大の字で横になる。

そして目を瞑って思い巡らす。

二週間程前に職場を解雇された。

雇用する側からしたら当然であろう。

自分がどれだけ周囲に迷惑を掛けてきた事か。

義実は一生懸命に働いた。

しかし度々とんでもないチョンボを犯してしまう。

その度に周囲に尻拭いをさせてしまっていた。

最初は優しく接してくれていた方からも、失敗を重ねていくにつれて、次第に冷たくあしらわれる様になり、義実は職場で孤立していく。

義実は本当に必死に働いた。

恐らく、それは周囲にも伝わってはいる。

だから失敗しても、その失敗を責められる事は余り無かった。

最初は怒られたりもするが、失敗を繰り返す内に、次第に義実からは距離をおく様になっていく。

義実と関わる事で義実が何か失敗した際、自分がその失敗の尻拭いをしなければならなくなる事を避けようとするのである。

義実を厄介者扱いして、その厄介者を押し付け合う様に、誰も義実とは関わろうとはしなくなる。

周囲の者達だって、自分の仕事があるのだ。

わざわざ積極的に誰かのフォローをする程、ゆとりがある訳でもない。

それでも慣れない内は仕方がない事だと、誰かが誰かのフォローをする。

それは何処の職場でも当て嵌まる事だろう。

しかし、いつまでも、そういう訳にはいかない。

その内に見放されて、孤立してしまう。

それは決して周囲の者達が悪い訳ではない。

何度も同じ様な失敗を繰り返す義実自身に問題があると、義実自身もその事は判っていた。

それでも、どうしても何かしら大事な事を失念してしまって、同じ様な失敗を繰り返してしまう。

義実にはもう、どうする事も出来なかった。

そして、その様な事はその職場に限った事では無かったのだ。

これまで義実は幾つもの職を転々としてきたのだが、その度に失敗を繰り返し職場で孤立して、挙げ句の果てに解雇されてきたのである。

恐らく義実は何かしらの障害を抱えていると思われるが、義実自身、その事には何の知識も自覚も無かった。

障害ではなく、自身の不注意や能力の欠如に因るものと考えていた。

そして、それらも含めた上で、自らの不運を嘆く以外に無かったのである。

そして更に遡ると、学生時代もろくな事は無かった。

小学生の時には〔義実〕という名前の所為で、男のくせに女の子みたいだと揶揄われ続けて、それもあってか良好な人間関係を築けずに、中学生以降もいじめを受けたりして沢山、傷付いてもきたのだ。

また、そんな中でも一度だけ、異性に恋心を抱いたのだが、その想いを伝えても受け止めては貰えず、それどころか、その事を晒されて学校中の笑い者になったりもした。

そして学力の方も全くと言っていい程に出来が悪く、運動や芸術的な才能も全く感じられなかったので、大学に進学する事も出来ずに、何の資格も技術も無いまま半ば無理矢理、社会に放り出されたのである。

今、思い返してみても、義実の過去には本当に何一ついい思い出が無かった。

そう考えると、此処まで生きてこれた事が不思議に思えるくらいである。

実際に義実は過去に二度、自殺を試みた。

一度目は睡眠剤を大量に服薬したのだが、幾らもしない内に殆どを吐き出してしまい、そのまま病院に搬送されて胃洗浄を受ける事になる。

結局、死ぬどころか、それまで経験した事も無い様な、苦痛を味わっただけだった。

二度目は首を吊ったのだが、途中でロープが切れて、死にきれなかったのだ。

その時に気を失ったまま落下したが、気が付くと左の足首と左手の薬指を骨折していた。

本当に散々な結果ばかりである。

更にそれら、義実が自殺を試みたという事実は、父親に揉み消されてしまった。

勿論、それは世間体という意味で、義実も理解出来ない事ではない。

しかし親子の信頼関係という部分で、義実は裏切られた様に感じていた。

教育関係の仕事もしている父親にとって、自分の息子が自殺を試みた、なんていう事実は隠したくもなるだろう。

恐らく自分が父親の立場に立ったら、同じ事をする様に義実は思った。

だから決して周囲に事実を伝えて欲しかった訳ではない。

義実にとっても、そんな事を周囲にわざわざ知られたくはなかった。

しかし、その一方で、その様な事実を隠される事自体が、義実自身の存在を否定された様にも感じたのだ。

では、一体、どうして欲しかったのか。

義実にも、それが全然、分からなかった。

ただ一つ言えるのは、それ以前から父親に対する信頼関係は揺らいでいたが、それにより決定的にはなったのだ。

母親とは中学生の時に死別している。

癌だった。

大腸癌が色んな所に転移してて、手遅れだった。

二つ上に兄が一人いる。

兄は義実と違って優秀だった。

運動や芸術的な才能は義実と大差ない感じだが、各教科の成績は頗る良かったのだ。

父親はそんな兄を可愛がった。

そして義実はそんな兄とよく比較されたのである。

兄とは特別に仲が悪かった訳でもないが、良かった訳でも無かった。

比較されればされる程に、兄との距離が開いていく様に感じる。

それは兄も同様だったであろう。

だから悪くもなく、良くもなかったのである。

そして義実にとっては、そんな兄の存在そのものが、日に日に苦痛にもなっていった。

そんな義実にとって、母親が元気な内は、まだ救いもあったが、母親と死別して以降は本当に、地獄の様な日々が続く。

学校では毎日いじめを受けていた。

暴力によるいじめは殆ど無かったが、言葉によるいじめは元より、何よりも所有物の破壊、強奪、盗難が酷かったのだ。

更には強請集りである。

時には義実から強奪、盗難した物を売り付けられたりもする。

義実の家は元々、裕福な家庭であり、父親の収入も高かった。

だから少額であれば、毎日、義実が無心しても、何も言わずに与えてはくれる。

例え少額でなかったとしても、所有物の破損や紛失等の明確な理由があれば、買い与えてもくれた。

しかし義実が本当に望んでいたのは、そんな事では無い。

父親に助けを求めていたのだ。

そして父親であれば、その様な義実がいじめを受けている事は容易に想像出来たはずであった。

しかし義実の父親はそれを承知の上で、見て見ぬ振りをし、金銭での解決を図ったのである。

少なくとも義実はその様に受け取った。

今、思えば、きちんと言葉にして助けを求めていたら、父親はどうしたのだろうか。

そんな事を思ったりもするが、当時の義実は何でも金銭で解決しようとする父親に不信を募らせるだけだった。

そして義実もまた金銭での解決を図ったのだ。

とは言え、いじめを受けている当時の義実には、そんな事に気付くゆとりもなく、ただ一日を無事に過ごす事が精一杯だったのである。

その事に気付いたのは社会に出てからだった。

幾つかの職を経て、その職場でも孤立を深めていたある日、突然にその事に気付いたのだ。

義実が暴力を受けなかったのは、義実が従順だったからであり、従順だったから、いじめを助長していたのかもしれなかった。

義実は暴力を恐れる余り知らず知らずの内に、自分自身をいじめる相手に売り渡していたのだ。

自分もまた父親と同じ様に、金銭での解決をしてしまっていたと気付いた。

義実のいじめという現実に対して、見て見ぬ振りをした、父親と自分が同じであったと気付いたのである。

たまらなく、悔しかった。

たまらなく、苦しかった。

たまらなく、辛かった。

たまらなく、空しかった。

たまらなく、寂しかった。

父親に続いて、自分自身にも裏切られた様に感じた。

蛙の子は蛙とは、よく言ったものだ。

父親と自分との血の繋がりに、言い知れぬ嫌悪感を感じた。

そして、許せなくなったのだ。

自分の事をいじめてきた奴等。

父親。

自分自身。

何もかも。

この時、義実は初めて【死望者】になったのだった。
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by gushax2 | 2016-06-26 06:05 | 参章/死望者 | Comments(0)